明治生まれの「先輩」三好正人氏が、故宮川敏子先生の元に学ばれていた経緯が事実となった今、その製菓技法の基礎はフランス菓子にあった、と言う事は明白です。
相原一吉先生は宮川先生の元で助手を勤められた後に渡仏され、一層フランス菓子に造詣を深められましたから、私達のような相原先生に学ぶ者共の手と舌は、知らず知らずのうちにフランス流となって行きます。
しかしその手もおぼつかぬ私に、友人渡辺尚子氏が、イギリスのフルーツケーキを作ってみてはと促す。
それと言うのも三好正人氏は、毎年クリスマスのシーズンの度に、奥様がお仕込みになったラム酒漬けのドライフルーツを使いケーキを焼いてはご家族ご親戚に振舞われていたと言うのです。そのレシピの出所はと言うと、当時ご家族の元に下宿されていたオーストラリアからの留学生に教わったものではなかろうか、と言うお話でした。大変几帳面であられたと言う三好正人氏が、小さな整った字で書き付けられたレシピノートは既に失われており手掛かりはありません。
私は重苦しい心持ちで電話を掛けました。相原先生がイギリスのフルーツケーキにご興味が無い事は言わずもがなです。
ただ材料を順番に入れて行って、ぐるぐるぐると混ぜればあれは焼けるでしょう。
案の定のつれないお返事に嘆息しながらも教室を訪ねると、そこにはすでに先生の書棚から抜き出されたイギリス菓子に関する本がどっさりと積まれておりました。
英国ではこのフルーツケーキをクリスマスだけでなく、結婚式にも使うんですよ、と先生。焼いた後のケーキを真っ白な砂糖衣で包んで段に重ねるでしょう、そして一番上の新郎新婦のお人形を乗せる段、あれは取っておいて一年後の結婚記念日に食べるのだそうですよ。
私は先生の蔵書の中からいくつかのフルーツケーキのレシピを写し、教室を後にしました。幸いな事に、私の舌にはひとつの英国式フルーツケーキの記憶があります。亡き父は毎年クリスマスの頃になると、古くからの友人であるチチェスターのジョーン・ハミルトン卿から、クッキー缶で焼いたフルーツケーキが届くのを楽しみにしていました。
帰宅後、私は入手した英国式フルーツケーキのレシピと資料を机にぶちまけると、紙に線を引いて、それぞれ異なるレシピの全ての材料と容量を一覧表に書き込んで行きました。しかし我が家のフランス人には見つからぬように。イギリス菓子の研究を行っている、などと言う由々しき事態が発覚すれば大戦に発展しかねません。
やがて作戦本部はあっけなく発見される事となり、私は憮然として夫に尋ねました。イギリスのフルーツケーキ、食べたことある?フランス人は目を輝かせると即答したのです。あれはイギリスの奇跡だ!と。
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